過去の宮城県沖地震との比較

DD法による2005年宮城県沖,1978年宮城県沖地震の本震・余震分布とすべり量分布[2006/9/22 更新]

2005年の余震分布に見られるクラスタの位置は1978年の余震のクラスタの分布とよく一致しています。 (三陸沖や昨年のParkfield地震で同様の現象が見られています。)
また2005年の余震活動が特に顕著な中央部付近では余震のクラスタの間に余震の空白域があります。
この余震の空白域は1978年の北側(?)のアスペリティの東半分におよそ対応しているように見えます。
ただし,1978年の余震活動と比べると2005年では,この空白域を縁取る北側での余震活動は低調です。

このような余震活動の特徴からは1978年のアスペリティの南東部分の破壊が2005年の地震であるように想像されます。
実際に地震波形インヴァージョンから求められるすべり量分布は1978年のアスペリティの南東部分におよそ対応しており,余震分布の特徴と調和的です。(文責 柳沼直)

図1.1978年宮城県沖地震,2005年宮城県沖地震の本震・余震分布と,すべり量分布。
(a) DD法 (Waldhauser & Ellsworth, 2000)により求めた本震・余震分布,ともに地震後2日間の余震を示します。
青星印・青丸が2005年,赤星印・赤十字が1978年の本震・余震をそれぞれ表します。
(b) すべり量分布との重ね合わせ.青色コンターはYagi et al. (2004)の手法により,遠地地震波形から求めた2005年宮城県沖の地震のすべり量分布(コンター間隔0.3m)。赤色コンターはYamanaka & Kikuchi (2004)による1978年宮城県沖地震のアスペリティ。ただし,1978年のアスペリティの位置は再決定した本震位置にあわせて平行移動しています。

図2.2005年宮城県沖地震の観測波形・理論波形と,観測点分布の様子.
(a)観測波形と理論波形の比較.黒線,赤線はそれぞれ観測波形,理論波形を示します。観測点コード下の数値は,各観測点における最大振幅(μm)を表します。
(b)地震波形インヴァージョンに使用した観測点分布.黄色の星印は本震震央,三角印は観測点を表します。

1933年,1936年,1937年,1978年の宮城県沖地震の震源域の比較[2005/10/6 更新]

繰り返し発生している宮城県沖地震のうちで,地震観測データが残されている1933年,1936年,1937年の地震と1978年宮城県沖地震の本震と余震の震源分布を比較してみました。これらの地震活動は沈み込む太平洋プレートと陸側プレートの境界で発生していると考えられています。そのプレート境界の位置は,現在の微小地震活動からかなり正確に決定することができます。ここでは,地震月報のS-P時間データに,東北大学向山観測所と水沢緯度観測所のすす書き記録から新たに験測したS-P時間データを加えて,震源の深さをプレート 境界に仮定しながら,震央位置をグリッドサーチ法で決定しました。
その結果,1930年代の3つの地震の震源域を足し合わせると1978年宮城県沖地震の震源域とほぼ一致しているように見えます(図1)。3つの地震の震源域は互いに少しずつ重複しているように見えますが,1933年の地震は東側,1936年の地震は中央部,1937年の地震は西側の領域で発生していることがわかります。
それに対して1978年宮城県沖地震は,3つの領域が同時にすべった地震である,と考えられます。

図1.過去の宮城県沖の地震の震源域.地震月報のS-P時間データ,東北大学向山観測所のすす書き記録,水沢緯度観測所のすす書き記録をもちいて再決定した1933年,1936年,1937年,1978年の本震(星印)と余震(丸印)の震央を示します。それぞれの地震はプレート境界地震であると仮定して,グリッドサーチ法で震央位置を推定しました。1930年代の3つの地震の震源域は,互いにその一部を重複させながら,1978年宮城県沖地震の震源域全域(ピンク色の領域)に広がっているように見えます。

宮城県沖で発生した過去の大地震の震源再決定[2005/8/22 掲載]

宮城県沖ではM7.5前後の地震が繰り返し発生していることが知られています。有名な1978年6月12日の地震(M7.4)の前は1936年11月3日の地震(M7.4)です。これまでの地震の平均再来間隔は37年ですが,1835年7月20日の地震の時には,僅か26年後の1861年10月21日に次の地震が発生したことが知られています。前回の1978年から今年で既に27年目となるので,そろそろ次の宮城県沖地震が発生しても良いのではないか,と言われていました。このため,今回の地震と想定していた宮城県沖地震の関係が大問題となっています。ここでは,今回の地震発生を踏まえたうえで,1936年と1978年の地震およびそれらより一回り小さい1937年7月27日のM7.1の地震の震源位置を見直してみました。
これら3つの大地震とその発生から一ヶ月間の余震の震央分布(図1)を見ると,余震がかなりばらついている事がわかります。特に1936年や1937年のころは観測点が少なく時計の精度が悪かったため,震源の決定精度はあまりよくないのはしかたがないことです。
これらの地震は沈み込む太平洋プレートと陸のプレートの境界で発生していると考えられるため,震源の位置がこのプレート境界面上にあると仮定してその位置を拘束することにより,震源の位置の信頼度を上げることができます。まず,本震について調べてみたところ(図2-図4),誤差を考慮しても,1936年の地震の震源(破壊の開始点)は1978年の震源より東ないし北東に位置する可能性が高い事がわかりました。一方,1937年の震源は1978年よりも西に位置するように見えます。
1936年と1937年の地震については余震についても再決定しました。この時代の時計の精度が悪いため,ここではS-P時間を使う事にしました。さらに,水沢観測所のすす書き記録からS-P時間を読み直して,震源再決定に使用しました。横軸にS-P時間,縦軸にPの走時(P到着時刻と発震時刻との差)をとって,データをプロットした図のことを「和達ダイアグラム」といいます。PとSの読み取り値の両方が正しければ,この和達ダイアグラムではデータがほぼ直線上に乗ることが知られており,今回の読み直しの結果のほうが精度が良いことが和達ダイアグラムからも見て取れます(図5)。このデータを用いて,本震と同様にプレート境界面上に拘束した震源決定を行うと,震源分布がよく集中してきます(図6)。
これらの余震分布と1978年の地震の余震分布を比較してみると(図7),これらの余震分布はほぼ重なり合っており,1978年の余震域の東部ないし南東部では1936年の余震域が,また西部ないし南西部では1937年の地震の余震域が重なっているように見えます。この図と今回の地震の震源域と余震域を見ると,今回の地震は1936年の地震と良く似ている事がわかります。

図1.宮城県沖で発生した大地震の震央と本震発生後1ヶ月間の余震分布 (地震月報による)。(a)1936年(b)1937年(c)1978年

図2.S-P時間を用いた震源再決定。傾斜角20度のプレート境界面を仮定して,グリッドサーチにより震源位置を推定しました。赤星印(1~4)は,観測点の組み合わせを変えた時の震央位置を表します。白色+印はグリッドの位置を,黒数字はプレート境界の深さを示します。カラースケールはS-P時間の残差のRMSを表す.白星印は地震月報の震央を示します。

図3.S-P時間を用いた震源再決定.傾斜角20度のプレート境界面を仮定して,グリッドサーチにより震源位置を推定しました。赤星印(1~4)は,観測点の組み合わせを変えた時の震央位置を表します。白色+印はグリッドの位置を,黒数字はプレート境界の深さを示します。カラースケールはS-P時間の残差のRMSを表します。白星印は地震月報の震央を示します。

図4.グリッドサーチによる震源決定に用いた観測点の分布。赤色は気象庁の観測点,青色は水沢緯度観測所(当時)を示します。1936年,1937年および1978年の本震は気象庁観測点によるS-P時間(地震月報掲載)を用いました。観測点の組み合わせは,ケース1が図中の7観測点,ケース2が小名浜を除く6点,ケース3が石巻を除く6点,ケース4が小名浜と石巻を除く5点,です。1936年と1937年の余震については,今回,水沢観測所のすす書き記録紙により,S-P時間の再験測を実施して震源再決定を実施しました。

図5.水沢観測所における1936年宮城県沖の地震の余震のP-O時間とS-P時間の関係。(a)地震月報の験測値の分布。(b)今回,水沢緯度観測所(当時)のすす書き記録から験測したS-P時間を用いた場合。

図6.S-P時間を用いた余震(本震後の約1か月間)の震源再決定。傾斜角20度のプレート境界面を仮定して,グリッドサーチにより震源位置を推定しました。丸印は再決定した震央の位置,白三角印は地震月報による震央位置を表します。赤色および緑色星印は再決定した本震の震央位置,白色星印は地震月報による本震の震央位置を表します。

図7.再決定した1936年の宮城県沖の地震(赤色印),1937年の宮城県沖の地震(緑色印)と地震月報による1978年宮城県沖地震の本震と1か月間の余震の震央分布(青色印)。1936年の地震の余震域は1978年宮城県沖地震の余震域の南東部分と,1937年の宮城県沖の地震の余震域はその西側部分と,それぞれ一致しているように見えます。